2015/08/22 20:53

皆さん、こんにちは 店長トミーの懐かしい

子供の頃のお話です!

タイトル 親父の海 

  感じる力 迷わず生き抜く!

小学6年から高校にかけて・・・親父と海に出た。漁に行く為だ。

季節によって様々な漁法があり、伊勢海老漁,バカ貝引き、さし網、は

え縄、一本釣り、イカ釣り等、様々な漁を体験した。

その中で、今の自分の行動におけるクセと言うか・基準といった物はこの

頃に構築されたように思う。


それは何かと?言うと・・・

データーや常識、人の意見も、もちろん大事なことであるが、しょせん、

人の物差しである。


最終決定は、すべて己の 直感!で判断することだ! 「考えるな!感

じとることだ!」気配に聞け・・・

人生には色んな予期せぬことがある。


途中の過程で少し位 うろたえることがあっても、最初の判断に任せる。

流れの中で最善を尽くしながら流れつづける。 流れる水は腐ることがない。


自然というのは予測不能の中で動いている。その状況に 逆らわず、いや、逆らえない。

むしろ流れに溶け込むことにより見えないものが見えてくることがある・・・

漁師というのは とにかく 直感だけが頼りだ。生活の糧をほぼ、これに任せていた。


今から30数年前は魚群探知機もなければ無線もない、

我が家の小さな漁船(木船4馬力)で九州(大分)から四国沖までイカ釣りにい
った。

昼過ぎから蒲江を出航し、漁場には暗くなる頃ついた。漁は深夜遅くまで続いた。途中、飽きて寝て

しまうこともあったが、もくもくとイカ釣りをする親父を横目で見ては 

よーも飽きんで、いつまでも釣るもんじゃのう~等と、まるで他人事のように見ていた。

(当時は生活の為に命懸けで漁をしていた)

しかし、そんな長閑な海ばかりではなかった。 もうじき時化るきい、帰るぞ

と言い、 テグスを手繰り寄せると 木船4馬力の焼玉エンジンを駆けて

トロトロトロと情けないスピードで木船4馬力は四国を後にした。

それから1時間程も経っただろうか・丁度 水の子灯台(四国と大分 蒲江の中

間点)で一発の大きなうねりが船首にあたった。ここは有名な難所である。

三角波という危険なうねりが船を揉みくちゃにした、そして私の心も揉みく

ちゃにされていった。深夜の海 鶴見崎灯台だけを頼りに木の葉のよう

な船が前に進めず浮かぶ様は子供の私には地獄の入り口にしか見えなかった。


「死ぬんじゃねんか!」心で叫んだ。海で恐怖を感じたのはこの時が初めてだった。


そんな中、親父は、平然と舵をきり、顔色ひとつ変えずに波をやりすごして

いた。ここは潮がはえ~きい こげえなんのじゃ(潮が速

いからこうなる)といい、片手の握り飯をほうばった。 そして 「人間ちゅ

うんは知らんことに関しては大袈裟に恐れを感じてしもうて、ありもせんことで

心とごてえ(五体)がカチカチになるんぞ」そげえなったら命を取らるると言った。

自然には逆ろうたらいけん。波に乗って、ちっとづつ前にずりよったら潮間から抜け出て

また凪になるんじゃと言った。

潮の流れを読み、沖の雲を眺め、風の匂いを感じ、五感だけを頼りに生

きてきた昭和の時代

感(カン)ピューターであったが迷わず進んだ。

あれから40年近く過ぎた・・・・

今、又、自然との歩調を取り戻さなければいけないように感じる。


イカ釣りから帰る途中、夜の闇から静かに朝に転じようとしている

清々しい匂いの蒼色だ

遠い昔、 あの日見た東の空も サイレントブルーだった・・・